中東情勢を受けて急騰した油価も、この原稿を書いている6月27日現在、約70米ドル近辺に下落しました。WTI先物相場を見ると、今後1年程度は60米ドル台後半で推移するというのが市場のコンセンサスになっています。
ただ、思い返せば今年の年初、市場コンセンサスは3カ月後の原油価格を60米ドル前後と見込んでいましたが、実際にはイラン危機の勃発により原油価格は急騰しました。価格だけでなく、わずか数カ月後にナフサの供給不安が語られ、包装資材や商品のパッケージ印刷にまで影響が及ぶと予想した人はいなかったでしょう。
私たちは往々にして「知っている」ことを「理解している」ことと錯覚してしまいます。
経営上のリスクは、情報不足ではなく、この混同から生まれることもあります。
私たちは日本が原油輸入の大半を中東に依存していることを知っています。ホルムズ海峡が世界のエネルギー供給の要衝であることも当然知っていますし、情報は十分に存在しています。
しかし、中東情勢が緊迫することの可能性を実際に現実の経営問題として捉え、自社やサプライチェーンにどのような影響が及ぶのかまで具体的に理解していたでしょうか。
経営リスクは、この「知識」と「理解」のギャップから生まれます。知識とは事実を知っていること、理解とはその事実が自社にどのような意味を持ち、どのような備えが適切か考え、いざという時に行動に移せる状態とも言えます。
私は長年エネルギー事業に携わってきました。エネルギー開発には巨額の投資と長い時間を要するので、中長期の需給トレンドは比較的見通しやすいともいえますが、一方で、それゆえに地政学リスクや不確実性と常に隣り合わせにあります。
本来は地政学リスクについて論じたいところですが、ここでは、もうひとつの不確実性である技術革新を例にあげたいと思います。その象徴がシェール革命です。
米国は、かつて世界最大の原油輸入国でしたが、70歳を超えたジョージ·ミッチェル氏が既存技術を組み合わせ、地下深部の頁岩層の不採算資源の商業化に成功させたことで、世界有数の原油輸出国へと変貌しました。
シェール革命によって市場に動揺が走っていた頃、私はサウジアラビアと共に原油産出の中心地であるクウェートに飛んで、長年にわたって原油トレードを仕切ってきていたKPC(クウェート石油公社)の上級幹部に直接会い、市場の見方や見通しを教えていただきました。
市場を知り尽くした方だけあって、その説明は説得力に富み、大いに感心したものです。
しかし、彼が懇切丁寧な説明の最後にこう付け加えました。「川名さん、私は石油市場を何十年と見てきて、唯一確信していることがあります。それは、自分の予想はいつも外れるということなんですよ。」
専門家でも未来を正確に言い当てることはできない。しかし、予測の限界を理解している人ほど、備えを怠らない。これこそが、経営における重要な姿勢なのだと気づかされた瞬間でした。『シェルに学んだシナリオプランニングの奥義』の著者で、シナリオプランニングの第一人者である角和昌浩氏は、未来予測における現在と未来の非連続性を指摘しています。シェルがトレンド分析に基づく単一の未来予測から複数シナリオの発想へ転換したのも、不確実性に満ちた世界では予測そのものに限界があるからです。
異なる未来の姿を想定しておくことで、柔軟で迅速な意思決定が図れるわけです。
経営判断には賭け(Bet)がつきもので、それは経営者の責任において決断していかなければなりません。
AIは不可欠な経営インフラになりつつあります。しかし、その推論は本質的に過去のデータや既存の知識体系に依存しています。だからこそ、前例のない構造変化を見抜き、最終的な意思決定を下す責任は、依然として私たち人にあると思います。
そのためには、経営者自身が、組織の知識や経験、ネットワーク、五感を総動員して、知識としての情報を、質の高いインテリジェンスに転換しなければなりません。その際には、各種バイアスや同調圧力を排し、多様な視点を確保することも忘れてはなりません。
ただ、それでも不十分かもしれません。
イラク戦争の火蓋が切られる前年に、ラムズフェルド元米国防長官が"UnknownUnknowns"と表現した「知らないことさえ知らないこともある」わけです。
組織は、その組織の経験から得た世界観でしかものを見られないので、組織の常識は外の世界の非常識、ということもままあるわけです。知識を理解へと深めるためには、異なる経験や視点を持つ人が重要になります。
私自身、地政学リスクに翻弄されてきた経験からも、メディアや自らの経験だけでは補えない認知的多様性を備えた組織をいかに築くかが、リスクに備える鍵だと考えています。
では「想定外」は回避できるのでしょうか。
残念ながら私の答えは、「ノー」です。
自然災害、感染症、戦争·テロ、技術革新、偶発的事故··。未来には必ずUnknownUnknownsが存在します。
しかし、その影響を小さくすることはできます。
必要なのは、未来を当てることではなく、複数の未来を想定し、変化に対応できる選択肢を準備しておくことです。
経営者の仕事のひとつは、不確実な未来に備え、組織の想像力と対応力を高めることでしょう。
その考え方はエネルギー戦略にも当てはまります。供給源の多様化や再生可能エネルギーへの投資は、まさに未来への備えと言えるでしょう。再生可能エネルギーはもはや環境対策だけではありません。国家安全保障と産業競争力を支える戦略資産であり、不確実な未来への備えになりつつあります。
この考え方について、レノバ社長の木南は「太陽光発電や風力発電など再エネ設備は、日本にとってのエネルギー備蓄である」と語っています。自然資本を活用した分散型エネルギーシステムは、想定外に対する強い社会をつくる重要な備えだからです。
経営者に求められるのは、未来を言い当てる能力ではなく、どのような未来が到来しても組織が生き残り、成長できるように準備する能力だと思います。
不確実性そのものをなくすことはできません。しかし、不確実性への備えはできます。
「想定外」をなくすことはできなくても、「想定外を跳ね返せる経営」にしたいものです。
これは不確実な時代における経営者の責務ではないでしょうか。
川名浩一Hiroyasu Koike
株式会社レノバ取締役会長
1982年日揮株式会社(現日ホールディングス)入社。アジア、中東、欧州で15年間海外駐在。2011年-17年代表取締役社長。
2020年6月退社。2023年より現職。クボタ、エーザイ、ispace、コムシスホールディングスの社外取締役。
ベンチャー企業経営支援のルブリストの代表取締役。