先の参院選で野党各党は一斉に消費税減税を公約に掲げ、減税に強く反対した自民党との姿勢の違いが鮮明だった。野党側は消費税率そのものを5%に引き下げたり、食料品を対象に税率をゼロにしたりするなど、物価上昇で圧迫されている家計に対する支援を打ち出した。これに対し、自民・公明両党は所得制限なしに国民1人当たり2万円を給付する方針を示した。与野党とも選挙に向けたバラマキ合戦の様相を呈したが、国民の間に消費税に対する嫌税感が広がっているのは間違いない。それが野党各党による消費税減税の公約となったのだろう。
しかし、消費税などの税金による国民負担を嫌がれば嫌がるほど、現役世代の負担がより重い社会保険料は増えるばかりだ。少子高齢化が急速なスピードで進む日本では、誰かが社会保障コストを支払わねばならない。それならば国民が等しく負担する消費税で賄う方が合理的といえる。実際に消費税は、社会保障4経費(年金・医療・介護・少子化支援)に充てるために目的税化されている。ただ、レジでの支払いのたびに負担を実感する消費税に対し、給料から天引きされる社会保険料は負担を感じにくい。こうした仕組みが実質的な「ステルス増税」として、社会保険料の引き上げにつながっている。
その典型が「子供・子育て支援金」である。この支援金は、所得制限を撤廃して児童手当の拡充などを盛り込んだ育児支援策の財源として、2026年度から医療保険に上乗せ徴収する制度だ。本来なら育児支援策は、全世代が負担する消費税を財源とすべきだが、消費税増税に対する国民の反発が強いため、社会保険を流用することになった。政府・与党は「将来を担う子供たちや子育て世帯を全世代で支える制度だ」としているが、現役世代に負担が偏る社会保険料を財源に充てるため、最近ではSNS上でこの支援金に対し、「独身税だ」と揶揄する声も広がっている。独身世帯では子育て支援策の恩恵を受けられず、独身者に対する罰金的な存在として見られているという。
だが、こうした社会保険料を通じたステルス増税よりも心配なのは、国民の間で税金への嫌悪感や忌避感が強まる中で、国家財政の悪化に対する感度が極端に鈍っていることである。日本の国と地方を合わせた長期債務残高は、2025年度末で1,300兆円を超える見通しだ。これは国内総生産(GDP)の2倍以上に相当する規模である。海外で比較可能な172カ国・地域の中でも日本の財政悪化は最低の水準にある。主要国で過去100年の間に長期債務がGDPの2倍の水準を超えたのは、第1次世界大戦後のフランスと第2次世界大戦直後の日本と英国、そして現在の日本しかないという。それでも「国民の手取りを増やす」として消費税減税を唱えるのは、ポピュリズム(大衆迎合主義)と批判されても仕方がない。
これほど危機的な財政水準にあるのに、日本では財政危機に対する意識が極めて希薄なのは何故か。与野党とも選挙のたびに公約に減税や現金給付などを掲げ、財政再建や歳出効率化がテーマとなることはない。日本経済は最近までデフレからの脱却が最大の課題とされ、需要不足を補うための財政措置が繰り返されてきた。だが、インフレ傾向が強まると、今度は与野党とも一転して物価高対策を喫緊の課題と唱え、家計支援のオンパレードである。本当の窮乏世帯には支援措置が不可欠だが、国民一律のばらまきでは財政支出の効果が不透明なだけでなく、今後の金利の上昇を見据えた財政の危機管理に対する建設的な議論などは期待できない。
こうした中で参院選を控えた今年5月、令和国民会議(令和臨調)の超党派会議の報告会が開かれ、与野党の議員が真摯な議論で提言が発表された。そこでは先進国で最悪の状況にある財政を立て直すため、財政の長期予測を担当する「独立財政予測機関」(IFI)の設置を求めることが盛り込まれた。日本の会計検査院は国家予算の執行状況を監査し、無駄な支出や制度の問題点などを所管官庁に勧告する行政組織だ。少子高齢化や防衛、自然災害など今後も財政需要が膨らむ中で、IFIは最適な財政支出を選択し、財政の持続可能性を高める役割を担う。
令和臨調によると、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国の約8割ですでに同様の機関が設置されており、財政の適正な支出を検討している。主要先進国でIFIのような組織がないのは日本だけだ。なかでもオランダ経済政策分析局(CPB)は有名だ。CPBは政府機関として財務省に属しているが、政治的に強い独立性が確保され、独自に経済成長や財政収支などの見通しを公表している。政府はCPBの予測をもとに予算を編成し、各種の政策もCPBの評価を受ける。さらにオランダでは4年に1度、総選挙が行なわれるが、CPBは各政党が選挙前に発表した公約を評価し、どのような政策効果があるかなども公表している。オランダの有権者はCPBの政策評価を参考にして、どの政党に投票するかを決めている。
これに対し、日本では内閣府が翌年度の経済成長率見通しと数年間の経済見通しをまとめ、これをもとに財務省が翌年度の歳出と歳入を見通して予算案を策定している。選挙前には各政党が公約を発表するが、これは予算的な裏付けを度外視している。その政策を実行すれば、どれほどの経済効果があるかなども検証されない。これでは政策を競い合う基礎条件が整っているとはいえない。
令和臨調の超党派会議では与野党の議員が討論に参加し、本音で政策を議論する必要性を確認した。だが、そうした議員も党に帰れば、再び政治的な駆け引きに没頭することになる。最近では買い手が減少した超長期国債の金利が上昇し、財政危機の兆しが現われ始めている。次世代にツケを回さずに財政の持続可能性を高めるため、政治はIFIの創設を主導すべきである。
井伊重之Shigeyuki Ii
経済ジャーナリスト、産経新聞 客員論説委員
コーポレートガバナンスに関する論考多数。政府の審議会委員なども歴任。