新政権の突破力が問われる労働規制改革

2021年4月10日

井伊重之(産経新聞論説委員)

[ 雑誌「コーポレートガバナンス」Vol.5 - 2020年12月号 掲載 ]

アベノミクスが積み残した成長戦略の本丸だ

新たに発足した菅義偉内閣は、行政の縦割りや既得権益の打破を掲げ、規制改革を政権の重点目標に位置付けた。安倍晋三前首相に比べて「国家観がない」などと批判されることもある菅首相だが、規制改革はアベノミクスが積み残した成長戦略の中核を構成する政策だ。規制改革の具体的な成果をいち早く出すことで、政権の突破力を高める必要がある。それが新型コロナウイルスの感染拡大で低迷する日本経済の底上げにもつながる。

デジタル化で既得権益の打破を

菅首相は新内閣の発足にあたり、「役所の縦割りや既得権益、悪しき前例踏襲を打破して規制改革を進めていく」と宣言した。もちろん当面の課題として新型コロナウイルスの感染拡大の防止と社会・経済活動の両立が問われるが、社会・経済活動の効率化を高め、生産性の向上を図るためにも規制改革は不可欠である。その試金石となるのは行政のデジタル化だろう。

新政権はデジタル庁の創設を重要目標に掲げている。2021年の通常国会にデジタル庁設置法案やIT基本法改正案などを提出し、同年秋にはデジタル庁を発足させたい考えだ。デジタル庁は総務省や経済産業省、内閣府など各省庁に分散しているデジタル関係部局を統括し、行政のデジタル化を推進する政府の司令塔の役割を果たす組織となる。同庁が誕生すれば、中央省庁のデジタル関係予算も一元化し、国と地方の行政デジタル化にも主体的に取り組むことになる。

ただ、行政のデジタル化をめぐる課題は多い。これまでのデジタル化は各省庁が個別に進めており、それぞれが独自のコンピューターシステムを採用しているからだ。省庁ごとの業務に応じてシステムが構築され、システム会社が保守・管理を請け負っている。それを横断的に結ぶには、かなりの手間と予算がかかる。また、地方自治体も個別に仕様が異なるシステムを採用しており、それらを統合して運用する作業が必要となる。まずはマイナンバーカードをめぐる自治体のシステム仕様を統一し、その利便性を高めることを目指さなければならない。

何よりも行政のデジタル化は、それ自体が目的ではない。デジタル化はあくまでも手段=道具であり、国民の利便性を高め、ひいては国民経済にとってプラスにつなげることを最終目的としなければならない。利用者の使い勝手を高めることも重要だが、それ以上に不必要な行政手続きそのものをなくし、各省庁の既得権益を打破する手段として行政のデジタル化を活用したい。

そのためにもデジタル化と同時に進めなければならないのが規制改革だ。行政のデジタル化は各省庁の様々な窓口に分散している手続きをワンストップ化するだけでなく、行政の規制そのものに大胆にメスを入れる改革でなければならないが、菅政権が取り組もうとしている規制改革はあまりにも小粒な印象が否めない。

菅政権の規制改革は、河野太郎行革担当相の肝いりで打ち出した「押印廃止」をはじめ、行政における書面・対面手続きの撤廃、産業医・薬剤師の常駐廃止などが対象にあがっている。いずれも時代遅れの規制だが、これが改革の本丸ならば寂しい限りだ。税金や社会保険を電子マネーで支払える仕組みも盛り込まれているものの、政府関係者は「まずは行政手続きからスタートし、具体的な成果を出したい」と説明する。これでは政権の突破力が発揮されたとは言い難い。

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規制改革の推進母体となる政府の規制改革推進会議では、コロナ禍で一時的に解禁されたオンライン診療やオンライン教育の恒久化などが議題となる見通しだ。日本医師会など関係団体との調整は困難も予想されるが、国民の利便性向上のためには実現が欠かせない。オンライン教育もITインフラの整備と一緒に進めるべき課題だ。政府はコンピュータープログラムを必須科目に位置付けており、そうした教育を対面だけに限るのは合理的ではない。大胆な見直しが必要だ。

テレワーク時代に適さない時間管理

ただ、この規制改革推進会議でも農業や福祉、労働など規制改革の本丸といえる項目は取り上げられない予定だ。政府はコロナ禍で広がったテレワーク(在宅勤務)の推進を掲げるが、その定着を図るためには働いた時間ではなく、仕事の成果で評価する仕組みが不可欠だ。自宅のパソコンで作業する仕事について、会社にいるのと同じように労働時間で評価していては正当な労働価値は算出できない。そうした旧態依然の労働規制に対し、菅政権が具体的な改革姿勢を示していないのは残念だ。

現行の労働規制に基づいて始業・就業時間を会社が決めているようでは、柔軟なテレワークはできない。実際、通常のテレワークでは、会社の始業時間に合わせて作業を開始し、終業時間と同時に作業を終える人が多いという。これではせっかく自宅で働く意義を半減させてしまう。現在はテレワーク中でも労働者が自宅で働いた時間を会社側が把握する必要があり、この制限によって会社が始業・就業を定めなければならない。こうした労働時間管理は、働いた時間と生産量が比例する工場労働に適したものだ。会社から離れ、パソコンを使って自宅で仕事する時代とは異なる発想だ。それだけにテレワーク時代に適した新たな労働規制を考える必要がある。

テレワーク時代に求められる働き方は、時間の使い方を自分で決められる仕組みだ。一部の専門職しか対象にならない裁量労働制を積極的に活用し、テレワークで働く人に広く適用することが重要だ。裁量労働制は効率的に働いて一定の成果を出せば、賃金を減らさずに労働時間を短縮できるメリットがある。働き手が生産性を高める意識を持つことができる。政府は裁量労働制の対象を営業職の一部にも拡大する方針だったが、調査データ不正問題で中断してしまった。適用対象の拡大をめぐる議論を再開すべきだ。

同時に働き手を労働時間規制の対象から除外し、職務や成果で報酬を決める「高度プロフェッショナル制度」も対象者を広げる必要がある。現在は対象業務が金融商品の開発などに限定されている。専門性のある人が広く使えるようにすべきだ。日本経済に活力を取り戻すためにも、こうした岩盤規制を突破する政府の意思が問われている。

井伊重之Shigeyuki Ii
産経新聞論説委員
コーポレートガバナンスに関する論考多数。政府の審議会委員なども歴任。