トランプ米大統領による旋風が吹き荒れる中で、米国の金融市場でESG(環境・社会・企業統治)投資への反動が強まっている。世界最大の資産運用会社のブラックロックは昨年末、脱炭素を目指す国際的な金融連合から離脱し、ほかの米金融機関も相次ぎ追随したことで、この金融連合は事実上の活動中止に追い込まれた。また、気候変動対策に積極的な姿勢を示していたSEC(米証券取引委員会)のゲーリー・ゲンスラー委員長は、今年1月にトランプ氏が大統領に就任すると、任期途中で退任を迫られた。
トランプ氏は就任初日に「パリ協定」から再離脱する大統領令に署名した。民主党のバイデン政権が多額の補助金を投じ、積極的に推進してきた脱炭素政策を転換する姿勢を鮮明にしている。トランプ氏の出身母体である共和党には、これまでの急激な脱炭素化や金融業界による行き過ぎた環境規制に反発する声が強い。トランプ氏も大統領選期間中には化石燃料を巡り、「掘って掘って、掘りまくれ」と煽るなど、バイデン氏の脱炭素政策を強く批判してきた。このため、トランプ氏の再登板に伴い、ESG推進を掲げてきた米金融界は新政権の圧力にさらされ、投資戦略の見直しを余儀なくされている。
共和党が州議会を主導するテキサスなど全米10州は昨年11月、ブラックロックとステート・ストリート、バンガード・グループの米国3大資産運用会社に対し、反トラスト法(独占禁止法)違反の疑いで米連邦裁判所テキサス州東部地区に提訴した。ESG投資の名目で共謀して石炭企業に圧力をかけ、株価下落や石炭価格の急騰を招いたと判断したからだ。訴状によると、運用会社3社は、インデックスファンドを通じて石炭企業の株式を購入し、「物言う株主」として温室効果ガスの排出ゼロや低炭素化の実行を求めたと批判した。この訴訟を指揮したテキサス州の司法長官は「我々は破壊的で政治的な環境アジェンダのため、金融業界を違法に武器化することを容認しない」との談話を発表した。
これに驚いたのが資産運用会社だ。ブラックロックは「当社が企業に損害を与える目的で資金を投じたという指摘は根拠がなく、常識を逸脱している。これはテキサス州の評判を貶めることにつながる」と反論した。この訴訟にはアラバマやアーカンソー、インディアナなど共和党が州議会を主導する州が名を連ねている。これらの州では再生可能エネルギーよりも化石燃料を重視し、バイデン政権の脱炭素政策に異を唱えてきた。そしてトランプ氏の圧勝を受け、ESG投資を掲げる米金融業界に反撃した格好だ。
さらに共和党は昨年12月、同党が主導する米下院司法委員会が公表した報告書の中で、「金融業界は過激なESG目標を米企業に押し付けるため、談合と反競争的行為を繰り返している」と問題視。そこでもブラックロックやステート・ストリートなどの大手資産運用会社がやり玉に挙げられた。こうした攻撃を受け、ブラックロックは「ネットゼロ・アセットマネジャーズ・イニシアチブ」(NZAM)からの離脱を表明。すでにバンガード・グループは22年にNZAMから抜けていたが、ブラックロックの離脱に伴い、ゴールドマン・サックスやシティグループ、バンク・オブ・アメリカなど他の大手金融機関も一斉に離脱を表明し、NZAMは活動を実質的に中止する事態に発展した。
こうした反ESGの動きは、米金融市場の番人であるSECにも及んでいる。SECは今年2月、米上場会社に対する株主の提案について、株主総会で取り上げる議案から除外する指針を見直した。ゲンスラー前委員長が率いたSECは、社会的に広範な影響があると見込まれる株主提案に対し、総会議案から外すことを禁じた。これに伴い、機関投資家などの株主が投資先企業に気候変動対策や人材の多様性確保を求める議案が急増し、会社側にESGやDEI(多様性、公平性、包摂性)の対応を迫る結果となった。
しかし、トランプ大統領の誕生でゲンスラー委員長が早期退任すると、SECはこの指針を撤回。株主が提案した議案が企業の総資産か最終利益、あるいは売上高の5%以上の業務に影響するかなど、事業との関係をみて除外できるように改めた。議案を提案する株主は本業との関係を証明する必要が生じたため、総会で株主の提案議案が投票に持ち込むのはかなり難しくなった。
さらに米連邦巡回区控訴裁判所は昨年12月、米証券取引所のナスダックが上場企業に取締役の選任で多様性確保を求めたルールを無効と判断した。ナスダック市場に上場する大手企業は、25年末までに少なくとも1人の女性と、1人の人種または性的なマイノリティーを役員に選ぶように求められていたが、これを法令違反と断じた。やはりトランプ政権によるESGやDEIの見直しを見越した措置といえる。この決定を受け、米金融大手のゴールドマン・サックスは、新規株式公開の引受業務で支援する企業に対し、取締役会の多様性を求める指針を撤廃した。
米モーニングスターの集計によれば、2024年にESG関連の投資信託から196億ドルの資金が流出し、2年連続の出超を記録した。トランプ政権がESGやDEIに対する攻撃を強める中で、米大手企業でもDEIの取り組みを縮小する動きを加速させている。金融業界関係者は「気候変動対策や多様性確保は人類的な課題だが、これまでの動きがあまりにも急過ぎた。今はその反動が米国企業を揺さぶっている」と指摘する。日本の金融業界では米国のような「反ESG」「反DEI」のような動きはみられない。だが、これからは政治的な分断が金融市場の分断を招かないような仕組みづくりが問われそうだ。
井伊重之Shigeyuki Ii
経済ジャーナリスト、産経新聞 客員論説委員
コーポレートガバナンスに関する論考多数。政府の審議会委員なども歴任。