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コラム:私立大学のガバナンスと経営者の責任

2013/07/16

立命館大学経済学部 教授 稲葉和夫


1. 大学の価値と大学の果たすべき役割

「大学の価値とは何か?」に対して一言で答えるのは非常に難しい。そのことを問うこと自体で1冊の書物を完成することになるであろう。別の角度から「大学の果たすべき役割は何か?」と問い直すと、文部科学省による学校教育法第9章第84条にも記述されているように、例え私立大学であろうとも、大学は学術の中心として、長期的な視野に立って公教育としての役割を果たすことが社会的責任として求められており、設置形態の違いはあれ、学生の存在を抜きにして考えることはできない。以下、筆者の35年間の大学勤務、および6年間の企業での社外取締役の経験をもとに、現在の私立大学のガバナンスと経営者の責任について私見を述べてみたい。


2. 取締役での経験

 社外取締役に就任する以前は、民間、および公的企業での就業経験は全くなく、企業内の意思決定に加わること自体が勉強であって、大学経営に関連して、多くのことを学ぶことができた。その主要なものは以下のように整理できる。

 第一は、当該企業が生み出す商品内容を理解し、経済活動現場をできる限り知ろうと努力することの重要性である。企業の経営実態は、損益計算書、貸借対照表等の具体的詳細で理解が及ぶといわれている。一般的にはそうであるが、それぞれの企業が生み出す商品の内容、活動プロセスの基本的理解もなく、単に机上の数値のみを眺めて様々な意思決定をすることは極めて愚かなことであると考える。この点は大学教育研究でも同様である。私自身の研究教育で海外に出張する際には、できる限り現地の営業所等を訪問することに努めている。

 第二は、様々な角度からリスクを評価し、ステークホールダーの立場を考慮しながら対応策を事前に検討し、問題が生じた場合には速やかに対応を行うことの重要性である。

 特に、顧客、従業員に対する安全性にかかわる事項については、例え他企業の問題であれ、自社の経営上の問題としてどのように対処すべきかを考えるようにしている。

 以上述べたことは、民間の経営者にとっては、今更この場で記述する必要のない当然のことであろうし、私立大学を経営体として考える場合にも当てはまる事柄であると考える。しかし、私の知る範囲では、この初歩的な事柄さえ認識していない、あるいは意図的に認識しようとしない私立大学経営者層が少なからず存在し、このまま放置すると大学の存立基盤を危うくする恐れがある。


3. 私立大学におけるガバナンス

 2004年改正の私立学校法第37条では、寄付行為の規定に基づき選出された理事長の代表権を明記している。あわせて36条、37条において理事会をはじめとする管理運営について規定している。改正は、近代的な私立学校の管理運営を目的としているにもかかわらず、理事長の権限強化のみを明記したものと曲解し、管理運営を一部の経営層が私物化する状況を作りかねない。本来ならば、各大学の寄附行為の規則に則って理事会において大学の重要な意思決定がなされるべきであるが、その下に様々な細則が理事会にも諮らず知らないうちに作成され、その細則に基づき10億円以上の多額の資金が理事長決済によって処理されるような仕組みをつくることも可能である。正常な民間企業ならば、執行役員兼取締役から構成される学内理事会で十分な議論を経て、外部理事を含む全体理事会に諮られるべきであるが、その保証はない。また、重大な不祥事の場合、最悪でも理事長辞任で終わり、後のつけは教職員、学生、OBに及ぶことになる。すなわち、内部統制機能が皆無と言っていいような管理運営機構にもなりうる。


4. 経営者の責任と理事の選出方法

 大学の管理運営に対する監視は、社外取締役に対応する独立性を持った外部理事の役割が期待される。外部理事は、大学のOBから選出される場合が多い。大学教育を自らの経験から知っているという観点からは望ましい選出であろうが、選出方法によっては単に理事長の意向に沿った議決機関になるだけで、高い外部理事の比率が逆に大学の正常な機能を損ねることになりかねない。この点は、2年前の日本取締役協会のセミナーでの「社外取締役の意見が有効なためには複数以上の社外役員が必要である」という私の発言に対して、「企業の業務内容もわからない社長の親衛隊が、社外取締役として多数選出されるとかえって始末が悪い」と指摘されたことから得た教訓である。本来の意味での外部チェックと経営の透明性を担保するためには、外部理事の選出方法の根本的再検討も必要不可欠であろう。

 最後に、社外取締役の経験を通じて、今こそ大学が一体誰のためにあるのかを真剣に問う時期であると実感している。ただし、現行の学校教育法改正よる大学改変の発想では何ら事態は解決せず、大学の価値を無にするだけである。それこそまさに愚の骨頂であるとしか言いようがない。