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コラム:画期的とも言える前回参議院選挙の最高裁大法廷判決

2012/10/23

弁護士 久保利英明

 本年10月17日、最高裁大法廷は全員一致で、2010年7月の参院選選挙区の定数配分は「違憲状態」にあると判断した。一方、結論においては、定数配分の是正にかかる合理的期間が過ぎていないとして選挙を違憲とせず、選挙無効を求めた原告らの請求は退けた。

 私はこの事件に原告代理人として関わった。

 従来の最高裁は5倍の格差(一人0.2票の価値しかない格差)があっても合憲と判断してきた。ちなみに衆議院は2倍未満でなければ違憲というのだから衆院と参院を別個に判断していたことになる。

しかし、今回の判決は、


  1. 「本件選挙当時、選挙区間における投票価値の不均衡は、違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていた」と違憲状態にあることを認め、

  2. 「単に一部の選挙区の定数を増減するにとどまらず、都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるなど、現行の選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置を講じ、できるだけ速やかに違憲の問題が生ずる前記の不平等状態を解消する必要がある」として都道府県を単位とする選挙区割り制度を見直すことを要請し、

  3. 「参議院議員の選挙であること自体から、直ちに投票価値の平等の要請が後退してよいと解すべき理由は見いだし難い」と衆議院と参議院で投票価値の平等性に差はないことを判示した。

 この判決は日本の政治に非常に大きな影響を与える可能性がある。

 日本の政治の混乱の原因は参議院が「良識の府」から「権力の府」に変質したことにある。ところが、消費税導入後の1989年7月参院選挙を嚆矢とする「ねじれ現象」や小泉内閣の郵政民営化法案の参院での否決を受けた「衆院解散事件」にもかかわらず、「弱い参院」、衆院の「カーボンコピーの参院」イメージが払拭されていなかった。

 そして安倍政権の2007年7月の参院選以後は「衆参のねじれ」が継続し、それ以降、総理大臣の毎年交代が恒常化していく。どの政党も両院の過半数を制する事ができないまま、「決められない政治」が漂流してきた。

 参議院の1議員あたりの有権者数を基準に計算し、鳥取を一人1票とすると神奈川や北海道は一人0.2票しかない。このため参議院では、投票価値の大きな方から順番に過半数に至るまで議員を数えていくと、総有権者数の僅か33%で、参院議員の過半数を取れることになってしまう。

 衆院においてはこの数字は42%となるが、いずれにしても、日本の国会は両院とも国民の少数が議員の過半数を選出している。日本の国会は議員の多数決でも国民の少数決なのである。

 今回の大法廷判決を構成する8人の多数意見、4人の補足意見、3人の反対意見を総合すると最高裁は、2013年7月に行われる予定の選挙までに4増4減という弥縫的な定数改正ではなく、西岡前参院議長が示した如く都道府県の枠を超えるブロック単位の選挙区案のような現行の選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置を講じることを求めている。速やかに違憲の問題が生ずる前記の不平等状態を解消する抜本的な法改正を行わなければ、次は選挙無効の判断も覚悟するとも読める。

 ただし、反対意見を含めて、一人一票同一価値の原則が代議制民主主義を支える基本原則であり、この要請は代議制民主主義を採る以上、国家組織の統治構造の根底をなすものであるとの認識が明解に述べられていないことは残念と言わざるを得ない。この事件の本質は憲法14条の言う「法の下の平等」ではない。「立法を国会議員という代議員が行い、行政を司る総理大臣を選出するのも国会議員という代議員である」というわが国の基本統治システムたる代議制民主主義の基礎とも言える選挙権の「絶対的な同一価値」を求める訴訟なのである。即ちガバナンス論である。

 私たちは2009年8月に行われた衆議院総選挙の小選挙区選挙についても同様の訴訟を提起し、2011年3月23日最高裁判所大法廷判決において違憲状態判決が言い渡されている。同判決は各県の「一人別枠」方式の廃止を国会に要請している。しかし、現在審議されている定数改正は0増5減にすぎず、別枠方式の廃止とは言えない。私たちは「一人別枠方式」を廃止すると共に、次回の衆議院選挙までに選挙区割りの見直しを行い、限りなく選挙権の価値を1対1とするように強く求めている。こんな状況で解散総選挙となったとき、どんな判決を予測すべきだろうか。

 情けないことにこの国の衆議院も参議院も違憲違法な状態なのである。その原因は一人ひとりの国民が等価値の選挙権を持たないからである。そのような不等価値の一票により選出された国会議員が代議員を務める国家が、ガバナンスを発揮できないのは理の当然であろう。