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リレーコラム(第3回)「東電の課題と現状―その法的側面」

2011/11/14

中央大学教授・東京大学名誉教授 落合誠一

 東電が東日本大震災による福島第一原発事故につきいかなる法的責任を負うかは、東電が直面している最大の課題であり、東電の現在および将来は、まさにそこにかかっていると言ってよい。もっとも東電のこの課題は、当然のことながら、東電等の電力事業者を利用しつつ原子力政策を積極的に推進してきた国の法的責任問題と不可分の関係にある。

 まず東電の法的責任の有無であるが、それは、原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)によって規律される(さらに不法行為による請求が可能かの論点は、ここではふれないことにする)。原賠法3条1項によると、原子力事業者である東電は、無過失責任を負うから、東電に過失があったかどうかは問題とならない。しかし「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは」、東電には責任がないから、福島第一原発事故が「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは」に該当するかどうかが、決定的である。そしてこの論点については、該当するとの見解がある一方で、該当しないとの見解もあり、どの見解が正しいかは、一義的に明らかであるとは到底言えない。このような状況のなかで東電としては、いずれの見解によるかを迫られることになる。その際には、東電の取締役としては、東電の企業価値を維持し、株主全体の共同利益を確保する観点から、適切な経営決定をしなければならない。この主張をするかしないかは、東電にとって極めて重大であり、いわば死活問題である。現状では、東電はこの免責の主張はせず、その代わりに国からの支援に期待する対応のようである。しかしその場合は、東電は、原発事故被害者に対して無限責任を負う。しかしその経営決定が、真に株主共同の利益を図るための判断であるかは当然問題となり、東電の経営者は、株主に対する説明責任を果たす必要がある。もしそれが妥当でない経営判断となれば、東電の取締役・監査役は、会社・株主に対して善管注意義務違反による責任を負う(会社法423条1項)可能性がある。

 東電の経営者は、このようにきわめて難しい判断を迫られているが、東電の株主についても、株主責任を果たすべきとの議論がある。しかし東電は、電力料金の決定はもとより原子力発電所の設置・管理等につき国家からの強力な指導・監督を受けており、株式会社について本来認められる営利企業としての経営の自由は、大幅な制約を受けている。この点は、一般の純然たる営利企業とは大きく異なっている。換言すれば、東電の株主の権利は、大幅に制限されているのであり、したがって、株主責任問題も、一般の事業会社の株主の場合と同列に論じることはできない。しかも東電の株主も、国の原子力政策の被害者とも言えるから、問題の筋としては、東電の株主責任を云々するよりも、国家の法的責任の有無の問題の方がはるかに重要なのである。

 そこで国の法的責任であるが、現段階では、国は、「原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任」を認める(原子力損害賠償支援機構法2条参照)ものの、法的責任については明確にしていない。しかし国は、その強力な監督・指導の下に東電等の電力事業者をもって原子力政策を積極的に推進してきたのであるから、その公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うについて故意・過失により違法に他人に損害を加えたときには、損害賠償責任を負う(国家賠償法(国賠法)1条参照。原賠法4条は、国賠法1条の適用を排除するものではないと解される)ことになる。そして福島第一原発事故の場合にその責任がないかは、やはり一義的に明らかであるとは到底言えない。もし国にも損害賠償責任があるとなれば、免責事由を主張しない東電と国とは、原発事故被害者に対する関係で連帯して損害賠償責任を負うのであり、その場合には、国は、責任がない立場からの第三者的な支援との立場ではなく、法的責任を負う者として真摯にその損害賠償責任を履行しなければならない。すなわち、国が法的責任を負うか否かは、今回の原発事故被害者に対する損害賠償のあり方の決定的かつ基本的な論点であり、現状のように甚だ不明確のまま推移してよいはずはない。激しい痛みを伴う根本問題の解決は曖昧にしたままにして小手先での解決を図ろうとするいわゆる日本化の現象が、ここでも繰り返されることは、決してあってはならないのである。