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リレーコラム(第2回)「欧州危機、政府と企業のガバナンスを考える」

2011/10/28

株式会社 経営共創基盤 代表取締役CEO 冨山和彦

 欧州の債務危機問題の霧がなかなか晴れない。バブルの生成と崩壊、その後の問題先送りの構図はかつての日本と同じ。ギリシャ危機という形での問題の部分的顕在化は、日本で言えばちょうど97年の拓銀、山一の破たんと同じような段階と思われる。先行事例に照らして考えれば、抜本的な処方箋は、欧州に横たわる全ての不良債権(≒政府の過剰債務)を、できるだけ早く徹底的に処理することに尽きる。

 いわゆるデット・ハングオーバーがのし掛かっている限り、金融機関は信用創造をできず、企業や家計は投資や消費に消極的にならざるを得ない。人間の体に例えると大きな血栓を抱えているのと同じで、そこに金融緩和や財政出動と言った輸血や強心剤治療を施しても、血管が詰まっている限り効果は無い。治療代で財政がますます悪化するばかりだ。さっさと外科手術、借り手の過剰債務を整理(事実上の破産手続きによる債務免除)する一方で、そこで資本不足に陥る金融機関への巨額の公的資金注入をやるしかない。

 ここまでは、欧州の政府首脳も、金融機関の経営者たちも頭では分かっているはずだ。ここから先は、現実の統治(ガバナンス)システムにおけるかれらの統治能力(ガバナビリティー)の問題である。

 しかし、EUの統治システムにおいて、重要な意思決定には17カ国全ての合意が必要な上に、EU各国は、比較的まともな民主主義国だ。国によっては、「働きもしないで借金で遊び呆けている国のために、何で我々の血税を使わなければならないのか!」という声が国民から出て来るのは自然なこと。合意形成は容易ではない。

 また、金融機関は金融機関で、安易に資産内容の悪化と公的資金の受け入れを認めることは、少なくとも既存株主の価値の希薄化につながるし、経営責任問題にも直結する。かつての日本でもそうだったが、短期的な株主利益の防衛に縛られる立場からは、むしろ問題先送りの動機付けが働きやすい。だから資産の自己査定はどうしても甘めになってしまう。

 私が以前から指摘している通り、政府であれ、企業であれ、統治システムが一般大衆のより直接的なコントロールに晒されることは、必ずしもガバナンスの強化につながらない。権力行使者の拡散、多数化は、権力作用の情緒化、近視眼化と背中合わせなのだ。それが民主主義の苦難の歴史の根源である。株主権の強化≒ガバナンスの強化に直結しないのもほぼ同様の理由による。

 だからこそ、ガバナンスの主役として、大衆から選任され、権力作用を付託された代議員、国で言えば国会議員、企業で言えば取締役の役割は極めて重要になる。プロとして信託を受けたこれらの人々が、専門的、裁量的にガバナンスを担い、大衆はあくまでも代議員の選解任を通じて影響力を間接的に行使するという、「代表民主制」の節度をお互いにわきまえないと、民主政、共和政は衆愚、無政府状態に陥り、国や企業を滅ぼすことになる。

 日本の不良債権問題は、結局、金融再生勘定や、私が関わった産業再生勘定などを合わせて、70兆円近い公的資金枠を用意し、それを金融庁や産業再生機構が専門的、裁量的、機動的に使える態勢を整えた2000年代になってから収束に向かった。欧州の民主制が、専門家を信頼し、大きな資金と権限を付託するような態勢を1日も早く整えることを期待したい。

 他方、国内ではいくつかの大企業で、ガバナンスやコンプライアンスはいったいどうなっていたのか?と首をかしげたくなる事件がまた起きている。こちらはむしろ経営者、経営陣に対するチェック機能が効かなかった事案のように見える。企業において権力行使者たる経営者の選解任、さらにはその執行の監督を、株主を含む全てのステークホルダーの付託を受けて担うのが取締役の役割。独立取締役の権能はそれがさらに純化されたものである。絶対権力の形成を防ぎ、暴走を抑止するという、ガバナンスの基本機能の重要性はいくら強調してもし過ぎることはないのである。

 欧州の危機と国内における不祥事。改めて、多数の利害関係者によって構成される企業と言う経済システムが、健全に機能するために、「代表民主制」の要と言うべき独立取締役の重要性はますます高まっていることを実感する。権力の拡散による無政府状態の防止と言う意味でも、逆に権力の暴走を抑止する監督機能と言う意味でも。


○リレーコラム(第1回)「いまこそ電力市場の完全自由化を」政策研究大学
院大学教授 大田弘子(2011/10/06)