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コラム:変革期の経営

2011/07/07

ウシオ電機株式会社 代表取締役会長 牛尾治朗

 変革期と言うより、わけのわからない時代である。日本だけ見ていると余計わからなくなるが、世界を見ているといろんなものが明確に見えてくる時代になった。


1. EUの現状から 

 1月8日付け朝日新聞にエマニュエル・トッドという仏歴史人口学者をインタビューした記事があり(聞き手:オピニオン編集長・大野博人氏)、気になって彼の本を取り寄せました。EUの論調に関心を持って見てみると、「先進国と開発途上国、もっとわかりやすく言えば、年収が500万円以上の国と100万円以下の国では、自由経済というものは成り立つのか」という意見を堂々と書いている。EUの中では市場経済・自由貿易が可能だが、後進国との間では、自由経済は民主主義を犠牲にしない限り成り立たない。月給2万円の国のワーカーと、月給30万円の国のワーカーが自由貿易を国境なくして競争すれば、月給30万円のワーカーの月給が10万円下がるのは当たり前である。それを下げないようにしなければ、民主主義が成り立たなくなっている。その中でEUはギリシャ、ポルトガル、スペイン、イタリアの問題を抱えて苦悩するが、一方ドイツはEUを作ってあんなにいい思いをしている国はない。堂々たる競争力があって、1ユーロ≒160ドルのときなど、日本が1ドル≒150円で儲けたときと同様である。日本も1ドル100円の時代があって、1995年には1ドル80円79銭になり合理化に成功したたことで100円でも十分やっていける体制を取る前に140円の相場が3年続いた。ここで日本のメーカーは儲けるだけ儲けた。現金収入が増えて海外投資が実現した。おかげで今日までわれわれがもっている。それに似て今ドイツでは、笑いが止まらないくらい凄い利益を出している。EUの通貨制度は、本当にこのままでいいのだろうか。

 これからアジア経済機構を作り、アジア・パシフィックで通貨を統一しそれが140円でできたら、我々は100円で十分やって行けるし、そういうホームを作れないことはない。しかしEUの情勢を見てみると難しい局面に入っている。EU加入の条件は、ご存知のとおりGDP3%以内に財政赤字が留まって、赤字残高が60%を超えてはならない。当時イタリアは財政赤字がGDP6%、赤字残高が130%だったが、将来3%と60%にするのを目標として加入を承認してもらった。本来はEUに加入できない国だったのである。イタリアの今年の予算では、1,000兆円余りの国債がGDP200%を超える。46兆円の税収で100兆円の歳出なので、赤字財政としてはGDPの10%くらいまで来ている。

 そういう深刻な議論がEUでなされているときに、民主党の公約は理屈こそ通っているが、歳出を拡大する方向へ向かっている。自民党も、麻生政権時代からリーマン・ショックを理由にして45兆円くらいの国債を発行してきたわけで、小泉政権時代、何とか3年以内にプライマリー・バランスをゼロにする、30兆円の国債を発行すると言っているうちに政権が交代した。赤字になった最大の理由は、小渕政権時代に2年間にわたって公共投資を行い、景気対策を打ったことである。それから財政問題が解決しないまま、今回の地震が起こった。


2. 大震災について

 南北500kmにわたる地震は珍しい例であり、小松左京さんが「日本沈没」を書いたときは、このような地震を想定したのである。海底が25m動いて10m盛り上がり、その結果日本が沈没するというストーリーである。今度の津波の後は1.5m、多いところは2m沈下している。津波も平均の高さが9.5~10mを超えるもので、最高45mまで高かったようだ。このタイプの地震は久しぶりで、歴史上では850年前以来のものである。

 こういう天災をどの程度予想できるのか。経営の経験では、想定できない。関東大震災に対する恐怖から、東京に本社がある会社は、毎年特別に地震を心配する。厚生省の依頼で10年間続けて世論調査をしたことがある。「関東大震災はまた起こりますか」という質問に「5年以内に起こるだろう」という回答が50%くらいあった。しかし「来年起こるだろう」は1%もいない。いずれ起こるが、来年は大丈夫だというのが世論で、毎年そうなのである。だから人間愉快に生きられるのかもしれないが、それを真に受けて「30年間のうちに87.5%の確率で東海大地震が起こる。だから浜岡原子力発電所を止めたらどうか」と総理が言った。こういう言葉が罷り通ったのは初めてだと思う。


3. 言葉の重さ―日本の信用

 日本人の良さというのは、際立ったことはしないけれども、約束を守る、軽い言葉を出さないということである。戦後の日本は、二つの大きな選択をした。それは吉田総理がすんなり決めた大きな方針である。軽武装と経済重視で、日本経済はこれから30年やっていくんだということを決意したわけである。

 それから2代後の岸信介総理のときに、安全保障条約しかない、しかも一方的に日本が守ってもらって、日本は米国に対しては、何ら軍事的発動をしないという条件を、ダラス国務長官と徹底的にやった。その前に岸総理は、アジア各国を全部回っている。岸信介氏の語録・歴史を全部読むと、韓国、中国、その他アジア各国全部を回って、日米安保条約の説明をしている。これがいかに防衛的で、全く侵略的でなくて、これこそがアジアの公共投資に等しいものだという了解を得たうえの条約を結んだ。

 当時は、左翼勢力の全盛期で学生運動があり、昭和35年に日米安保事件があった。国会の前では学生運動があり、樺美智子さん(1937年~1960年、安保闘争で死亡した東大女子学生)が亡くなり、大統領補佐官が来日出来なくなったハガティ事件となり、安保条約はもう締結不可能ではないかとも思われた。しかし、岸総理は断固として安全保障を結んで辞職するわけである。刺客に刺されて入院されたけれど、安全保障条約とは、非武装とはこういうものだという姿を自らアジアに説明して回って、アジアはみんな彼を信用した。彼は満鉄の調査担当の幹部として、開拓の長期計画を毎週作っていたので、そのときの体験もあったに違いない。

 安全保障条約は、こんなに日本にとってありがたい条約はかつてない。当時の日本は、世界経済の1.5%しか経済力がなく、当時の米国の経済力は35%だった。それから米国は25%、日本が15%まで接近する。「1.5%と35%」のときの条約を「15%と25%」でも続けるのはおかしいのではないかという米国の声は、日本でも彷彿させる状況であった。これを改定して、集団安全保障条約にという議論になったのは、今から15~6年前のことであるが、まだ十分な国家計画には達していない。このように日本では事を運ぶのが慎重である。

 現在の菅政権では言葉の重さというか、言葉を発する場合の過程をどう見せているか。政局で、ものを決めるプロセスにタッチしたことがある。党の結論を取り、内閣閣議の前に各省の合意を取り、そして閣議で決定してはじめて有効になる。そこまでには40回くらいの会合がある。そうやって決まったものは、必ず実行する国が日本である。大平さんによく聞かされた。「ナセル(ガマール・アブドゥル=ナセル、1918年~1970年、第2代エジプト共和国大統領)やインドのネールのような、第3の勢力として東西対立の米ソの間に入って、世界のために貢献するような人が日本からはなぜ出ないのかと言うけど、それは無理だよ。日本はずっと鎖国してきたし、英語もしゃべれない。求める方が無理。日本がするべきことは、皆で一緒に約束したことは絶対に守る国だということ。日本の外交には約束を守る鉄則しかない」事実、日本の信用はその一点にあるし、だからこそ他国の中心産業の企業を買収して事業提携したら、最後にその事業の全項目を日本側に任されるのである。

 「日本とやれば間違いがない」、その信用は一歩一歩積み上げながら、日本の強みである現場主義、完璧主義であり、集団主義であるところが、この国の政治経済に共通した取り柄であった。特に日本が大事にしなければいけないのは、現場主義、完璧主義である。MBAでどうのこうのという机上の理論よりも、やっぱり現場が大事である。

 日本では度を越した完璧主義な人が多い。会議では担当者が30~50人集まるし、株主総会も1時間半の式典を1分刻みでスケジュールを決めて何回も何回も練習する。かつてはそうだった。それくらい準備をして無事に終わると、緊張の余りみんな抱き合って泣く。こういう完璧主義が、実は日本企業の中に生きているわけである。完璧主義と集団主義は一緒のことだし、現場主義というのは現場で涙して成り立つのだ。


4. 戦後の特徴―現場主義、完璧主義、集団主義

 こういうあり方というのは、実は戦前はなかった。戦後の公職追放令で平部長だった人が急に社長になり、みんな一緒になって頑張ろうと、大きな会社になった。手に負えないときだけは、外の人が入るというケースが数えるほどではあるが、大部分は中の人がやった。48歳の元支店長が社長になって42歳の出張所長が組合の委員長になって、一緒にがんばろうというのが戦後の日本のスタートだった。そのような意味では近代化に役立っているわけである。戦前の日本は財閥主体で、仲間のように集うサラリーマン型が、会社を作ってきたというのは日本の戦後の特徴であり、そこで大事だったのは現場主義、完璧主義であり集団主義だった。

 なおかつ、世界に冠たる高度成長ができたのは、実は占領政策のお蔭である。憲法九条から始まって、民法も商法も、長男以外でも全員平等に相続できるようになった。教育制度も六・五・三・三制から六・三・三・四制に変わった。占領政策で、財産制度から教育制度まであらゆるものが変わった。1.3%しか大学に行く人がいないのが戦前日本、今は少子化もあって65%が大学に進学する。高校を卒業して就職する人は30%、中卒では1%もいない。かつての国富産業全盛期では、東北から就職する人が列車に乗って上野駅に着き、東海地区の繊維工場へ全員入る。寮を作って、勉強からお茶からあらゆる礼儀作法まで教えて一緒主義を貫いて行く、そういう歴史があった。このような体験が全部プラスに働いたのが戦後の成長であった。

 しかしながら、1990年に東西対立がなくなり、いわゆる第三次冷戦終了後について、堺屋太一さんだけは「冷戦後、転換しないと、この国はだめになる」と見事に書いておられる。石油危機の油断もはっきり書いておられる。日本は冷戦後、"Japan as №1"とおだてられて、マレーシアは"Look East"「我々はこれでいいんだ」となった。米国の自動車会社がトヨタやホンダの工場を視察し、同じユニフォームを着て社員食堂で食事をして、TQC運動を勉強して帰る。完全に日本的生産を身に着けて、製造文化はほぼ日本に近いところまで来た。

 その後の米国は、次は販売費と一般管理費だとして、本社経費の抜本的な構造改革をやった。当時日本で売上の25%が販管費のときに、米国では同業種で12%と半分まで経費を落とした。日本もそれをやったのだが、全く成果が上がらなかった。ITも高卒のやることで、大卒の人はほとんどITが使えないから、リエンジニアリングの作業をほとんど外注するので、全然成功しない。一方米国でIBMが世を謳歌しているとき、ヒューレット・パッカードやデルコンピュータ等の新興のコンピュータ・メーカーはIBMの半分まで販管費を落として販売戦略まで変えた。セールスマンより詳しいくらいにコンピュータに精通している客、はじめから仕様を指定して買うような客には、4割引下げてしまう。売り方を5通りくらいに分けて、説明が必要なのは初めてコンピュータを使う人だけで、詳しい人には倉庫から直送して全然経費を使わないという、販売プロセスの改革をやった。そこから米国は日本を抜かして合理化に成功していく。日本ではホワイトカラーや正規社員が日本の労働の合理化を阻んだ。コストを下げることに成功しても、質の高い創造的な力が企業の中に育たないことが大きな欠陥になるわけである。
 
 結局日本は成長期の微調整だけで冷戦後の改革をしなかった。米国はNAFTA(米国、カナダ、メキシコの3国で結ばれた自由貿易協定)を作り自らドルを基準通貨として、世界経済の筆頭となった。ヒューストン・サミットでは、米国からは父ブッシュが日本からは海部総理が参加した。そこでブッシュは第一に人権を尊重する民主主義、二番目に国境のない市場経済、三番目として武力による国境を侵犯しないという約束、新たに四番目の環境問題を重視することを加えて、この四つの新たな合意をしたのが、東西冷戦後の世界の変革である。

 ヨーロッパではドイツが、長年の宿願である東西ドイツの統合に手を付けた。あの統合では、西ドイツのマルクと東ドイツのマルクとでは実力は1対4くらい差があったのだが、1対1で統合した。だから東ドイツの人は一挙に財産が4倍になり、毎年西にとってマイナスの数兆円が、西から東へ今でも移っている。最近では政治家のリーダーも東から出てくるようになった。

 EUは6カ国が27カ国まで拡大し、1999年1月1日に単一通貨ユーロが導入された。これは大変スピードが速すぎたと思うが、悪いのは後進国との間に自由貿易があるからだと問題視されている。もう2、3年もすれば、先進国と後進国の間の自由貿易体制はおそらく崩れるだろう。ヨーロッパでは、そんなことは当然だというのが多数の声である。このような変化も十分あり得るだろう。


5. 震災以前からある課題

 日本はいま大震災にどう対処するか、それから原子力の放射能をどうするかが一番大事な問題だが、本当に大事な問題は地震の前から起こっている財政の破綻である。財政の破綻と既得権の崩壊は、何も変わっていない。

 1995年にカッコよく市場主義宣言をして、確かに3割くらいは進んだと思うが1割は残っている。米国では民間主導経済が全体の7割5分を占めていた。当時日本は4割くらいしかない。民間主導経済という形を取っていても、官庁の影響が大きい。官庁が背後で指導している経済を入れると、未だに日本は5割も満たないのではないか。金融界における行政の干渉を見れば、金融界は市場経済ではない。悪くなっているところも多い。

 もっともっと規律を自由にすれば良いのに、独占禁止法を間違えている。ボーイングとダグラスが一緒になるということを米国の独占禁止法は通す。ヨーロッパ連合に勝つためにはこれしかないと認めてしまう。JFEなどは計画の半分くらいしか到達していないが、何か会社を買収しようとすると独占禁止法を細かく調べないといけない。世界で生きていくためには、分母をグローバル・マーケットの中で考えないと進まない。小さな既得権が山ほどあってはならず、原則ゼロにするということを考えないようでは成り立たないと思う。

 このように、3月11日以前に民主党が抱えていた大きな問題は、地震によって放射能と大津波対策というものにすり替わっている。極論すれば、仮に被害総額を30兆円とすれば、その中で風評の影響は10兆円くらいあるが、政府が要るのは10兆円だから、3分の2は政府以外のところで調達する。10兆円だけを災害の債券とする。その代わり5年目から1兆円ずつ返済することを条件にして発行すればそれで済む。無金利でも良いし、復興債だけは自由に相続ができるようにするなどをすれば、多くの人が飛びついて購入するだろう。むしろ問題はそのこと以外であり、3月11日より前の日本をどうするかということが大事なのである。ここで一番大事なのは企業である。地震に対しては日本の建築は割と強いことが証明された。地震だけだったら大したことはなかったのである。


6. 核に対する考え方

 今回も神戸のときのように自衛隊を拒否せずに迎え入れ、500kmにわたる範囲に入ってきた。1週間で8万人が秋田に集合して、そこを軸に船で仙台に上陸した。そのときには米国の航空母艦レーガンが到着し、140人分の宇宙服を積んでいたというのだから、既に放射能被害を予見していたことが判る。道路が遮断されている箇所が多くあり、そこを重点的に米国の大型ヘリコプターが飛び、上空から物資を落とす。落としたところに自衛隊が待機しており物資を受け取って配る。こんな緊急時にも日本の法律では上空から荷物を落としてはいけないことになっていた。
北海道の自衛隊員6万人のうち4万人が秋田経由で入ってきたとき、自衛艦と駆逐艦が北方四島の辺りに2隻、動かないで停泊していたそうである。これはロシアの侵入に対する威圧であった。航空母艦と巡洋艦が台湾の辺りに四六時中いて、これは尖閣諸島への侵入を意識してのことと思う。戦争における戦略の常識というものは山ほどあるのだ。

 米国大使館で会った人が、「核兵器を持たない国と持つ国の違いは大きい。フランスは米国にノーと言われながら核兵器を保有し、今は世界第二位の国である。核兵器を持っている国が原子力発電を持つと、核兵器と同じような緊張感であらゆる局面に対処する。その点日本は核兵器を持ったことがないから、自由な運動会みたいな感じで原子力に対処しているから、援助する場合でも危なくて情報を出せない」というようなことを言っていた。今は米国もフランスも日本にやってきて、フランスが放射能の汚染された水処理を担当し、三つの廃炉計画は米国が担当する。その他は東京電力が様子を見ていくということらしい。米国は相当な力で準備を計画しており、フランスは5月末には解決するのではないかと話しているのをBS放送で確認した。計画や物事の進め方の発想がまるで違う。

 昨日竹中平蔵さんの対談を読んでいたら、「今の政府やメディアの対策は、小学生のサッカーだ」と書いてあった。核兵器をどう扱うかは、日本にとっても大事であるのに、一つのボールに群がって全体を見ていない状態だと。3月13日にブラジルでオバマ大統領が「日米同盟60年の重みを世界に見てもらいたい」とスピーチした。それからの米国の対応を見ると、本当にすごいと思う。言葉というのはそういうものである。10日ほど経って、原子力発電の混乱の難しさを理解したが、オバマは「これを十分に安全なものにして、2030年に85%を原子力発電にする計画は変更しない」とスピーチをしている。日本の政治家がこのような発言をしたら私は全く信用しないが、オバマの発言は彼自身が十分に報告を聞いた上で、解決可能とペンタゴンで議論し、国民の動揺がないようにと発言したことがわかる。大きな国の政治というのは、伝えるべきことをはっきり意識してしゃべらないとだめだ。


7. これからの経営の要諦

 当面、経済は簡単ではないが、IMFなど国際機関の予測では2011年は世界経済の成長率4.4%、来年が4.5%である。昨年が5.0%だからそれほど低いものではないし、先進国に限るなら2.4%~3.0%くらいのものである。日本はリーマン・ショックのときにあまりにも下がり過ぎたので2010年は3.9%だが、2011年は1.4%、2012年は2.1%と復興需要をかなり見込んでいる。

 この情勢の中でユーロは保護主義と自由経済をどういう形で表明するのか。ユーロを隔離して保護主義を守るという意見も出始めている。完全な自由貿易には、修正が入るのではないかという気がしている。そのようななかで日米同盟は深まるだろうし、また開発途上国も先進国への輸出が留まり、先進国からの投資が減ってくるので、経済は複雑な動きをするだろう。

 経営者というのは景気が良かろうと悪かろうと、それは単なる条件のひとつであり経営力のある企業は勝つ。変化にどう即応するかが、経営力のすべてであり、自分の分野に関して、変化があったときにどう対応するかという解法を持っている企業は必ず残る。変化のないときが最も良い企業と悪い企業の区別がつかなくなる。これから変化に満ちた時代が到来する。しかもこの変化はグローバル・レベルの変化である。

 国内産業だけでは、これからの経営はできない。国際的なマーケット、国際的な競争条件を見据えた上で変化をどう乗り越えるか。オイル・ショックやニクソン・ショックと同じくらい大きな変化が起こるだろう。ニクソン・ショックのときは、360円の固定相場がある日(8月16日だったか)、一気に250円になった。あの当時「固定相場で自動引き下げはやむを得ない」という発言を私もして先輩経営者に呼ばれ叱られたことがある。木川田さん(木川田一隆、1899年~1977年、昭和期の経営者・財界人。元経済同友会代表幹事)だけが「引き下げあるべし」という議論を7月に発言され、経済同友会ではこう行こうと決めていたのである。驚いたのは私を怒鳴りつけた人がすっかりそのことを忘れて、「これからは250円で食えないような奴はだめだ」と言ったことである。今と比べると昔の老人は、かなり柔軟な発想転換があったものだ。

 これからの変化は複雑になる。変化には事欠かないが、そのうちの半分は日本語圏ではないところで起こるし、半分はITでないと捉えられないところで起こるから、自分はITはダメ、英語はダメというのではいけない。ITの情報はあまり信用しないのだが、強い影響力があるのは確かだ。最近は多様な機器ができて、情報の判断は絶え間なく行われる。いかに情報を取捨選択して変化を読み取るか、変化するときには自分だけで変化に即応しようとしないで、世界中の人間と提携、買収することにより、あらゆる組み合わせの中で最も変化に強いチームを作ることができる。それが、これからの経営の要諦である。


8. コーポレート・ガバナンス

 この協会でやっておられる、株式会社におけるコーポレート・ガバナンスの問題も、状況によってはこれからだいぶ変わってくるのではないかと思う。委員会制度の株式会社の指名委員会は、日本の社会では難しい気がする。日本のような社会では、中にいる人が選んだ方がいいのではないか。郵政の指名委員長として私自身が経験し、苦労したことである。しかし報酬委員会は、普遍性があってプラスになると思う。監査については、どちらがいいかは何とも言えない。これらを含めて、日本の株式会社のあり方は、アジアにとってはお手本となる。韓国、中国も資本主義を進歩させるためには、日本の資本主義がどのような運用をしているかをお手本にする。そういうことも意識しながら、この協会が発展されることを願いながら、問題提起を終わりたい。