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コラム:PEファンドの立場から

2011/02/17

ニューホライズンキャピタル株式会社 取締役会長兼CEO 安東 泰志

 PE(プライベート・エクイティ)ファンドとは、経営陣と合意の上で当該企業の株式を取得し、企業価値向上のために経営陣と共に汗をかく存在である。僭越ながら既成概念や既得権益に染まってしまっている日本の産業金融を変革し、日本企業の成長のためのリスクマネーの担い手たらんとする志の下、数十社の企業の企業経営に深く関わり、相当数の上場企業にも社外取締役を送ってきた経験に基づき、PEファンドの立場から二つの論点に絞って考えてみたい。


1 第三者割当増資の問題

 金融審議会の論点は、要すれば「有利発行に該当しない第三者割当増資については、既存株主の関与なく取締役会の決議のみで実行することが可能であり、それによって既存株主の議決権の希釈化や支配権の移動が可能であるのは問題ではないか」というものであり、その後東証から発表された第三者割当増資に関する新ルールにもその趣旨が反映され具体的な規制が導入された経緯にある。

 筆者は、これら提言やルールの趣旨には賛同するが、企業を助ける立場のPEファンドの見地から敢えて言えば、この問題は当該企業の資本調達の機動性と既存株主の利益のバランスで考察されるべきだと考える。

 そもそも授権資本枠は株主には既知の事実であり、既存株主は当該企業の取締役会に、経営上必要ならば授権資本枠までの機動的な新株発行を委ねているということであろう。そして、増資資金が株主の期待利益率を上回る運用に振り向けられている限り、既存株主にとっての経済的な意味での希釈化はない。更に、現実的な問題として、株価が経営実態に比べて割高な企業の場合、経営実態より割高な価格で第三者割当増資が行なわれることは、既存株主にとっては有利な話である。増資の引き受け元に資金源の開示を要求すべきという議論も、世界標準から外れた議論にならないように期待したい。


2 取締役会の構成について

 08年秋の金融危機後、一部に「米国型のガバナンスは機能しなかった。やはり日本独自のやり方がよい」と言った極論が見られた。米国がCEOの暴走を止められなかったのは一面の真実であるが、日本のGDPや株式市場の時価総額が長期に亘って殆ど伸びていないことは、日本独自の、いわば社内論理に基づくガバナンス体制にも問題があることの証左である。

 誤解を恐れずに言えば、日本では株主に対し、トップが決めた社内の取締役候補者が「サラリーマン出世街道」の延長線上で推薦されてきた。例外的に社外から数名が、それもトップの意向に基づき推薦される「こともある」というのが日本式である。当然、取締役に推された人物がトップに逆らうことはまずない。高度成長期のように経済のパイが毎年広がる時代には、社内外の秩序を乱さない「横並び」能力があれば企業もある程度は成長出来た(「出る杭は打つ」ムラ社会)。また、資源配分は銀行が差配していた。メインバンクが社外取締役を送り込み、実質的にガバナンスを司ることも許される時代であった。銀行を通して得た資金が企業の成長を支え、それが結果的に株主他の利害と対立しなかったからである。

 しかし、その後低成長時代を迎えると、企業はマクロ経済環境に依存することは出来なくなった。ここ10年来、金融庁の資産査定基準の強化等に伴い、銀行が融資先に求める行動基準も、株主の期待利益に沿って高成長することではなく、リスクを取らずに確実に元利の返済が出来る財務状態であることを重視している。すなわち、現代の日本企業は、自律的成長を主導できる優れた取締役(「出る杭」)と、銀行とは違う価値基準を持った社外取締役を必要としているのである。その社外取締役も、サラリーマン社会にありがちな社内論理で物事が決まることを阻止し、株主ほかのステークホルダーへの価値提供を重視する人物、すなわち、独立取締役であることが望ましい。

 投資家を代表する意見として予てから企業年金連合会が「取締役の少なくとも3分の1は社外独立取締役とすべき」としており、また東証も上場会社に対して独立役員の確保を企業行動規範の「遵守すべき事項」に定めているのは正しい方向である。PEファンドの立場から望むことは、事業上の関係がない大株主、例えばPEファンド出身の取締役は「独立取締役」と認定して頂きたいということである。無論、大株主ないし主要株主と少数株主の間に全く利益相反がないとまでは言い切れないが、その度合いはPEファンドが株主共同の利益のために働く部分の大きさと比べれば些細なものであろう。過去30年に亘り欧米でPEファンドが果たしている役割の大きさに照らし、日本でもいずれ同様の時代が訪れることを視野に入れつつ議論がなされることを期待したい。