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コラム:政党のガバナンスについて

2009/10/08

学習院大学法学部 政治学科 教授 佐々木毅氏

 政党政治は政党が政権を運営する仕組みである。そして政党は政権を目指してお互いに競争関係にある。選挙や世論を市場と置き換えれば、市場を舞台に競争しあう企業との類推で政党を論ずることは可能のように思える。選挙市場は本来「全て」か「ゼロ」かの世界であり、シェアの増減といったベンチマークを念頭に置く競争関係よりも、ずっとタフである(「ゼロ・サム・ゲーム」の世界)。これまで日本では事実上政権交代がなかったため、競争関係は限定的な状態にあり、いわば、圧倒的に強い一政党を前提にしたシェア争いの状態にあったが、政権交代が現実のものになるにつれてこの構図は崩れた。かくしてハイリスクな競争関係が全面的に開花する時代に入った。これが政党を取り巻く環境を一変させ、内部組織のあり方を含め、従来のあり方の大胆な見直しを促すことは必至である。

 政党と政治家がその力を最も傾注し、力量を発揮するのが選挙である。選挙の際のコマーシャルを見れば一目瞭然であるように、勝利に向かって突き進む政党には団結力と規律が感じられる。一言で言えば、ほとんど候補者全員が同じ言葉を使い、同じメッセージを繰り返す。四年前の郵政選挙の時の自民党と今度の総選挙における民主党はその意味で非常に似ていた。マニフェストは戦いのための旗指物であり、党首は総大将である。選挙はしばしば戦争に譬えられ、現代におけるその代替物とされてきたが、選挙は日常性と区別される非日常的な場と考えられている。そこでは偶然的要因の働く余地があり、時にはそれが全体の帰趨に大きく影響する場合もある。これに対して市場での競争は戦争モデルの選挙と比べ、さまざまなルールを前提にしている点で日常性の様相が強い。

 問題はこの政党が政権を運営する段階に訪れる。政権を運営するというのは日常性の中でそれなりに政策の方向性を打ち出し、それを実行する政治的なまとまりを必要とする。ところが非日常的な選挙の時に見られたようなまとまりと団結を維持することはこの局面ではなかなか難しい。議員たちはいろいろなことを言い始める。議員たちは全て国民の代表者であり、その相互の関係は元々平等主義的な性格を持つ。政党という組織が統治の責任を担うためにはそれなりのガバナンスの仕組みがなければならないが、政党の運営について法的な規則はなく、それぞれの工夫と蓄積以外にそれを収拾する方策はない。かつての自民党の派閥は政党運営に必要な機能の一端を担うこうした中間的組織であった。いずれにせよ、政党の統治能力の問題は政治家同士の関係をどう処理するかという問題と深く絡んでおり、企業統治よりも遥かに制度面での環境が悪いことは明白である。

 かくしてどこの国の政党も選挙は出来るのであるが、必ずしも十分な統治能力を提供することはできないという現実が出現したのであった。この後者に着目して議会制(政党政治と事実上同じことを意味する)に代えて大統領制やそれに類する仕組みが注目されるのは周知のことである。日本でも小泉政権誕生の頃、首相公選制がかなりの関心の対象になったのは、政党の統治能力に対する疑義が深まったからであった(私事ながら、小泉政権時代、首相公選制度を検討する懇談会の座長を務めた経験がある)。

 政党のガバナンスを達成するための制度的な条件が不利な状況に置かれているとして、何によってそれを補強・代替すべきなのか、あるいはできるのかが問題になる。英国のように政党のリーダーと陣笠議員との圧倒的な役割の違いが定着している場合には問題はないが、そうでなければ他の工夫が必要になる。かつての自民党のような、金力プラス派閥によるガバナンスの調達という方式はそれなりに万国共通のものである。また、リーダーの政治家としての存在感が欠かせないのはそのためである。かつての小泉氏は勿論のこと、現在の民主党について見るならば、小沢幹事長の圧倒的な存在感が如何に欠かせないものであるかが分かる。

 また、マニフェストもこの観点から見ることが出来る。つまり、マニフェストは国民に対する約束、国民との契約の側面があるが、同時に政党の自己規律のための強力な道具としての役割を持っている。マニフェストは選挙(戦場)を議員たちに思い出させ、その原点に帰って政党としての団結を再確認させる重要な役割を果すことになる。ここには国民を巻き込むことによって政権党の団結と統治能力を補強するという構造が見られる。マニフェストをこうした多面的な機能に即して有効に活用するのは、今や政党のガバナンスにとって欠かせないものになりつつある。そして民主党政権は、このマニフェストと政策決定を内閣に一元化するという構想を結びつけ、自民党とは全く異なった統治のスタイルを実施に移している。

 政党のガバナンスとその統治能力の実現については今後もさまざまな実験が繰り返されることになろう。確かなことは、この課題をそれなりに乗り越えることができない政党には政権への道はますます遠くなるということである。政権交代という政党間競争の時代にあって、内部統制さえままならないということでは(政党内競争に多大のエネルギーを費やすということでは)、到底その競争に耐えられないのは当たり前のことである。