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コラム:賢者と語る『生きる。』

2012/10/23

JBCCホールディングス株式会社
最高顧問 石黒和義

 足かけ7年かけて、25人の賢者と対談した。日夜、ビジネスの最前線で活躍をしておられる経営者の方々に、ときには、思い切って時空間を広げて考えるヒントになればと思ってはじめた。対談の相手は、3000万本の木を植えた植物生態学者の宮脇昭さん、博覧強記の荒俣宏さん、プロゴルファーの岡本綾子さんからはじまって、宇宙物理学者の佐藤勝彦さん、衣装デザイナーのワダエミさん、ロンドン五輪日本選手団総監督の塚原光男さん等など。宇宙・自然・文化・遺伝子のことから死生観に至るまで、思いもよらない広がりとなった。古今東西、究極の好奇心は「生と死」にたどりつくと言われているが、この対談が真剣に取り組んだ証であると思っている。

 第48代横綱である大鵬幸喜さんとは、心技体にふれながら「横綱の品格」について話し合った。印象深かったのは、「俺は天才ではない、努力家だ」、そして「柏戸さんこそ、天才だった」とおっしゃったことである。私に言わせれば、確かに人一倍稽古されただろうが、恵まれたしなやかな体躯と英才教育に耐え抜いた不屈の精神力の持ち主こそ天才だと思うが、天才は自分のことは天才と自覚していないらしい。そして、今日やったから明日にはすぐに結果が出るものではない。姑息なことを考えて目先の勝負ばかりにこだわらずに、「3年先の稽古」をする大切さを指摘されたが、愚直という言葉を忘れかけた昨今、あらためて肝に銘じたことを覚えている。

 文化人類学者の片倉もとこさんは、フィールド・ワークを通して感性と理性にもとづく豊かな「イルム」を養う旅行家でもある。アラブ世界の学者からは、14世紀の大冒険家イブン・バットュータをもじって、「バットュータの娘」と呼ばれている。「ゆとろぎ」、これは片倉さんの造語で「ゆとり」と「くつろぎ」を足して「りくつ」を引いた言葉、「ラーハ」のこと。仕事と遊びだけの合理性をもとめる目的至上主義の人生でなく、自然ととけあうようなゆったりとした流れのある過ごし方、その時間が「ラーハ」である。今の私たちに、もっとも必要な時間かもしれない。なじみの薄いイスラームの世界に、近代以降、日本人がどこかに置き忘れてきた懐かしい面影のあることを思い知らされた。

 比叡山の荒行である千日回峰行を2度満行された酒井雄哉大阿闇梨は、86歳になる今も朝の滝行をかかさない。まさに「現代の生き仏」である。はかりしれない深い行体験をこともなげに語りつつ、包み隠さずにありのまま生きる姿は自然体そのもの。他人の話を聞かずに理屈ばっかり言って実践できない人のことを「賢バカ」と言っておられたが、実践の乏しい生半可な知識をふりまわす人たちには、「教行一致」は理解できないかも知れない。「一日が一生」、今日の自分は今日で終わり、明日はまた新しい自分。大阿闇梨の言葉は、平易でわかりやすく、順風満帆のときには人の耳に入らない。悩んだり、逆境のときに、あらためて心の奥底までぐっと入ってくる言葉である。

 混迷とした時代を生きるものとして、この対談を通して思うことは「つなぐ」ことの大切さである。これを、経営者や組織のリーダーはどう実践すべきか。先ずは、当然のことながら本来やるべき役割をしっかりと果たすこと。そのうえで、ことさら「引き際」を言挙げることなく、すみやかに若い人に任せることに尽きる。あのアインシュタインでさえも、宇宙は静止しているという固定概念にとらわれてパラダイム・シフトはできなかった。新しい時代には新しい考えをもった若者につなぐしかない。そして、フォロワーとして見届けて、まだパワーがあり余る人は新しい世界を切り開くもよし、ひそやかに西行法師や鴨長明のように自然の中に入って行くのも、ありたいひとつの生き様ではないか。


書籍『生きる。 12賢者と語る』石黒和義著(2012年5月 財界研究所)