120823_01column.jpg

コラム:Topの役割について

2012/08/23

三井金属鉱業株式会社 相談役 宮村眞平

 私は昨年の株主総会で取締役を退任、常勤相談役となった。この間のTopとしての評価はいろいろあると思うが、私自身がTopとしての役割について感じたことを率直に書き皆さんのご批判を仰ぎたい。

 ご案内のように、当社は昭和25年5月にかつての三井鉱山の金属局から分離独立、神岡鉱業㈱として実質的にスタート、昭和27年5月に三井金属鉱業㈱に社名変更、今日の会社の形式を整えた。この間スタート当初は亜鉛、鉛の原料鉱石の採掘から地金の製錬をベースとした神岡鉱山を中核にした事業会社であったが、その後、銅、金、銀、これに関連する事業等を加え文字通り総合非鉄金属事業会社となった。スタート時は朝鮮動乱の勃発等により非鉄金属価格暴騰等の恩恵も受け、日本一の業績をあげることが出来、大変な幸運に恵まれた。

 当社のスタート時には為替が固定レート制であったため、もともと非鉄金属の価格はすべてロンドンの金物取引所(LME)で決まり、原料鉱石代も含めすべてドル建てで取引が行われてきたこともあり、「為替」に対する気配りは要しなかったが、1973年より為替が変動相場制に移行したため、「地金の相場」に加え、「為替の変動」にその収益が常に影響される弱点をかかえることになった。かかる事情から当社の歴代Topには収益確保のためにはまずこの「相場」と「為替」に振り回されない事業体質を構築することが最大の経営課題となった。

 私がTopに就任した約20年前も、創業以来「脱非鉄」を歴代Topが最大課題としてかかげ対応してきたにもかかわらず、時々により若干の変動はあったものの収益の50%前後は非鉄に依存する経営体質から脱却出来なかった。

 そこで私の役割の第一は「安定した収益確保により企業価値を高め株主、社員、顧客、地域等のすべてのステークホルダーに報いること」だと割り切り、会社の事業体質の転換に取り組んだ。

 とは申せ、そう簡単に脱非鉄事業への転換が出来るわけではなく、一方「非鉄事業そのものも決して派手さはないが運営如何では常に2~3%の収益はあげうる事業」である点に着目、そのために、採鉱、選鉱、製錬等製造部門はもちろんのこと、販売間接費等、管理可能経費はどんなに細かいものでも徹底したコスト・ダウンに取り組み、日本一、世界一安く地金を生産出来る工場づくりに全力をあげた。

 結果は今日に至るも必ずしも満足すべきものではなく、経営環境はGlobal化の進捗により更に厳しくなり、事業の根本にメスを入れざるをえない事態になりつつある。

 第2に手をつけたのは、非鉄以外の事業で収益をあげる戦略の構築である。このために、非鉄の川上、川下はもとより、その周辺ビジネスの追及を自社の研究所で行うとともにあらゆる手段、方法で追いかけた。M&Aや他社との連携、いわゆる「選択と集中」等可能な限りの「企業革新」を進めた。しかし、新規事業やいわゆる「企業革新」も結局はヒト、モノ、カネ、情報、技術といった自社の経営資源の及ばない分野での「改革」は簡単には出来ないことを身を持って知らされた。

 第3に、こうした取り組みを進めていく過程で社員の意識改革が不可欠であることを痛感させられた。Topがこれから自社が進むべきcenter-pinの方向を全社員にしっかりと知らしめ、現状のままでは会社の「明日はない」ことを、全社員と課題の共有を図り、Topが自らその先頭に立ちこれを実行していく以外実現は不可能であった。Topの役割や、やるべき課題はきわめて明確であり、Topが「無私」の立場で自社の進むべき方向を示し行動するならば社員は必ずついてくるし、会社にもおのずから活力が充満、やる気あふれる社風が醸成され、すべてのステークホルダーから喜ばれる会社になることは必定である。

 後継者には大変でも勇気をふりしぼり明日の三井金属のために全力をあげて奮闘することを期待したい。